2020-01-01から1年間の記事一覧
前回の少し続きになります。 藤原道兼の縁組みもあり、藤原道信はいとこの藤原遠量の娘の聟になりました。 さて、この藤原道兼、道隆が亡くなったあと、めでたく関白になりました。 (この間に、道隆が息子の伊周を後継者にしようとの画策があるのですが) …
先に、藤原道信と婉子女王のことを書きましたが、北の方もまた大事な女性であったのではないかと思います。 nakuramayumi-diary.hatenablog.com 正歴五年七月十一日(994年8月20日)、藤原道信は患っていた天然痘が重篤化し、亡くなったそうです。 いたうわ…
小大君と言えば、三十六歌仙の一人。女蔵人左近などとも呼ばれています。 小大君は、生没年や素性はわかりません。円融天皇の后藤原媓子に仕え、そののち、東宮であった三条天皇の女蔵人だったようです。 女蔵人(ニョクロウド)とは - コトバンク 雑用が多く…
正暦五年七月十一日(新暦994年8月20日)は、小倉百人一首にも歌のある藤原道信の命日です。 藤原道信の有名なエピソードと言えば、花山天皇が出家したのち、宮中を出た元花山天皇女御婉子女王に懸想していたものの、婉子女王が藤原実資の妻となってしまったた…
ある日、宮中の殿上の間で、藤原実方は、藤原行成になにやら気に食わないことがあり(歌をバカにしたとも)、行成の冠をはたき落としてしまった。 当時、髻を晒すことはとてもみっともない事である。ここは貴族達の詰め所で、隣は天皇のおわすお部屋。行成に…
『大鏡』を読むと、円融天皇の二番目の皇后で、藤原公任の姉は、信心深く、また、羽振りがよい女性だったのだろうかと思います。 (漫画は創作です) https://twitter.com/nakuramayumi_u/status/1262763632191913987?s=20 『紫式部日記』の中で、宮中に盗賊…
百人一首の「かくとだに~」の歌で有名な藤原実方。 その生年はよくわかりません。 天禄三年(972年)に左近衛将監になったところを、十五歳前後とされているようです。 では、実方の父定時がいくつくらいで亡くなったんだろうと考えてみました。最終官暦は…
藤原道雅と言えば、百人一首の荒三位とか左京太夫道雅という呼び名が有名でしょうか。 道雅は『枕草子』では松君という幼名で登場します。 祖父道隆は関白で、娘の定子中宮が一条天皇の寵愛を一心に受け、栄華の極みにあった一家は「中関白家」と呼ばれてい…
大鏡に出てくる飲み友トリオ 藤原道隆 藤原朝光 藤原済時 https://twitter.com/nakuramayumi_u/status/1219580905368387587?s=20 古代、髻を晒すのは、ズボンを穿いてないのと同じくらいはずかしかったとか言うけど、そうしたら、大鏡で、牛車で烏帽子を被ら…