朝顔を①
正暦五年七月十一日(新暦994年8月20日)は、小倉百人一首にも歌のある藤原道信の命日です。
藤原道信の有名なエピソードと言えば、花山天皇が出家したのち、宮中を出た元花山天皇女御婉子女王に懸想していたものの、婉子女王が藤原実資の妻となってしまったために、怨みのような歌を詠んで、送ったことでしょうか。
嬉しきはいかばかりかは思ふらむ 憂き身にしむ心地こそすれ(大鏡)
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板挟みでツライという話(再投稿) pic.twitter.com/z3KN1FNxY8
— 奈倉まゆみ@沼に落ちて出てこれない方 (@nakuramayumi_u) 2019年12月30日
あらためて考えてみると、このような歌を送るくらいだから、単なる片思いとは言い切れないかも知れないですね。
親に邪魔されて、想いを寄せる女性に会えなかったことを詠んだ歌が残っていますが、女性が婉子女王なら、二人は両想いだった可能性もあります。(単純に疎まれていた可能性もなくはないけど)
九月ばかり、女のもとに、ありながらおやのかくせば
よそなれどうつろふいろにきくのはな なにへだつらんよはのあさぎり
藤原実資の方が地位も財力もあるから、別れさせられたなら、恨むかもと思ってしまったり。
相手は誰かわからないものの、道信を裏切って他の公達と約束事をしたことを恨む歌も、ひょっとしたら…
いとあだなる女の、あるきむだちをたのみて、おのが心をばし(知)らでちか(誓)事たつとききて
いにしへのこころよわさをおもひいでば ちかごとせじとちかひやはせし
でも、実資も婉子女王を大事にしてるんですよね。
さて、藤原道信の北の方は、従姉妹である藤原遠量の女です。彼女は、姉が藤原道兼の北の方で、道兼が世話をしていたと思われます。
さらに、藤原道信は、藤原道兼の父藤原兼家の養子であり、道兼とも従兄弟です。道兼の家人である藤原相如(すけゆき)とも交流がありました。
道兼とは、どうも深い関係にあったように思われます。
これについては、また詳しく調べてみたいですね。
左大臣殿(道兼?)のむこになりてのつとめて
あまのはらあくるにくるるよなりせばなかなかさらになげかざらまし
『道信集』に収録されている歌ですが 百人一首の歌に似てるような。
明けぬれば暮るるものとは知りながらなほうらめしき朝ぼらけかな
藤原道信の歌は、これが一番好きです。
朝顔を何は悲しと思ひけむ人をも花はいかが見るらむ
ただ、平安時代は「朝顔」は、現在の朝顔だけではなく、木槿や桔梗など、朝に咲く花を指すこともあるらしくて。いわゆる朝顔の花の方が儚くていいと思うけど、どうなんでしょう?『今昔物語』では「牽牛子(けんごし)」としてあったので、「朝顔」かなあと。
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平安中期歴史創作まとめ
Ⅰ https://min.togetter.com/bBVPmyA(~2019年)
Ⅱ https://min.togetter.com/3dtl0BJ(2020年上半期)
Ⅲ https://min.togetter.com/iu7wsjN(2020年下半期)
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