奈倉まゆみの描きつづり

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歌枕見て参れ

ある日、宮中の殿上の間で、藤原実方は、藤原行成になにやら気に食わないことがあり(歌をバカにしたとも)、行成の冠をはたき落としてしまった。

当時、髻を晒すことはとてもみっともない事である。ここは貴族達の詰め所で、隣は天皇のおわすお部屋。行成には、かなりの屈辱だったはず。

しかし、行成は動じず、冠を拾わせた。

 

この様子を見ていた一条天皇は、藤原行成を評価して、蔵人頭に任じ、藤原実方陸奥国国司に左遷した。

 

この時、一条天皇が実方に言い放った台詞が「歌枕見て参れ」

陸奥には「歌枕」と呼ばれる和歌に詠み込まれた景勝地がたくさんある。歌人と名高い彼に皮肉を込めたのだ。

 

しかし、陸奥は都から一番北の国。金や鉱物資源に珍しい特産品、宝の国である一方、土着の武士達の諍いで物騒な国だった。

そんなところに、簡単に左遷したりするだろうか。

 

これは説話である。

 

ちょうどこの頃、藤原実方の従妹娍子(せいし/すけこ)東宮居貞(おきさだ)親王(のちの三条天皇)の第一皇子敦明親王を産んだ。まだ、一条天皇に皇子がいなかったので、ひょっとしたら、この皇子が次の東宮になる可能性があった。

小一条流と呼ばれる一族の当主藤原済時は、娍子の父で、実方の養父である。大臣ではなかったが、有能な公卿であったようだ。

 

ある勢力が、小一条流と呼ばれる一族の勢力を削るため、実方を陸奥に送ったのではないか。

 

または、陸奥と小一条流は縁が深く、蓄財のために済時が手を回したのではないか。

 

あるいは、荒れた陸奥を治め、朝廷を豊かにするための政策だったのではないか。

 

説はいろいろある。

 

けれど、結局のところわからない。

 

まじめな話はここまで。

 

わからないなら、漫画のネタにしちゃいましょう。

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藤原実方は、任期中に事故死してしまったようです。

都にいる頃は華やかなエピソードが多かっただけに、多くの伝説を残したのでした。