平安時代の障屏具について
平安時代のことを引き続きいろいろ調べていますが、調べるほどに勘違いや知ったかぶりに気付き、情けない限りです。
気付いたのは去年ですが、例えば、神社などでも今も使われる几帳、これは、のれんのように、下部はピラピラとしているのだと思っていたら、一反ずつを中は縫い合わせずにつなげているもののようです。それの上に棒を通し、支柱から掛けます。
そして、簾や壁代(几帳より大きい。パテーションのようなもの)で仕切った部屋をさらに仕切るようです。
平安時代の話。最近まで几帳の造りを勘違いしていたことを知る(--;)
— 奈倉まゆみ(heiko)@平安ネタ多め (@heikoES) 2017年1月19日
ついでに描いてみました。 pic.twitter.com/gMVPMRtRJ1
平安時代の女性は人前で顔を見せないものとはいつから始まったのでしょう?
治安が悪い巷から、女性が守られるとか、他にも利点がないことはないけど、男性有利の社会、顔もまともにさらせないんじゃ、家に引きこもるしかない。
貴公子が訪れた荒れた屋敷には、美しい姫がいて、しかし、男がいないので、生活に困っている。
というのは、物語でよくあるパターン。
女性でも荘園を持っていたり、宮中や公卿にお仕えしていて、経済的に豊かな方もいたけれど、多くの場合、男性に頼らねば生きていけない社会だったと思います。
奥ゆかしく、雅やかな世界が好きなのですが、フェミニストとして見れば、不憫な時代です。
そして、世界にはいまだに、女性が望んだ生き方ができない社会があることも、忘れてはいけないと思います。