道綱と実方、歌友って感じでいいなという話。(創作多め)
『実方集』を読んでいて、藤原道綱と藤原実方って、歌友って感じでいいなと思い、想像を膨らませてみました。
季節外れですみません。でも、阿弥陀仏と網をかけての歌のやりとり。才知に富んでますね。
宇治川は川なのにどうして「波の寄る」なのかわからなかったのだけど、他の宇治を詠んだ歌を見ても、流れが速い宇治川を詠む時は「波」を入れるものみたいですね。
(勉強しないと。)
ところで、この歌は、『道信集』にも載っています。
実方中将、あじろにさそへど、道心に給へど、殺生このみ給ふなんあやしき、といひて、実方
うぢがはのあじろのひをもこのごろはあみだぼとけによるとこそきけ
かへし
ひをのよるうぢにはあらで西川のあみだにあらばいをもすくはむ
(新編国歌大観道信集)
そして、『実方集』
秋道綱中将の君を網代にさそひければ「道心がり給ふほどよりは殺生このみ給こそ」とありければ
返し
波の寄る宇治ならずとも西川のあみだにあらば魚(いを)もすくはん
※カナ漢字表記は参考書籍による
参考に読んだ解説では、藤原道綱ではないかと、書かれていました。
千年も昔に書かれたものを、書き移しているのだから、仕方ないことだけど、底本によって、古典って内容が変わるのです。
公任の三舟の才の歌も、少しずつ違うものがいくつもあって。
nakuramayumi-diary.hatenablog.com
実方集も、本によって、歌の数が違ったり、詠んだ人が違ったり。難しいですね。
実方が清少納言の夫だったかもという話も、元輔の聟になったという詞書きが添えてある歌から派生した話らしのですが、研究者によっては、実方と釣り合う身分なら、元輔違いかもしれないと。そもそも本によっては、「元輔」じゃないパターンもあるらしいのです。結局誰の聟になったのでしょうね。
でも、清少納言はなんらか実方を意識してたようなので、妄想はいろいろ湧くのでした。
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