藤原実方のことを少し
最近、知ったのですが、歌人が個人で和歌をまとめた私家集というものが結構残っているのですね。
古典文学に詳しい方からすると、何を今さらと思われてしまうかもしれませんが、和歌と言えば、浮かぶのが、百人一首と勅撰和歌集なので。
ちょっと資料を探しに、図書館に赴いたら、そこで『実方(朝臣)集』というものを見つけました。
かくとだにえやはいぶきのさしも草
さしも知らじなもゆる思ひを
前回の記事に載せた、花山天皇と一条天皇の頃に活躍した貴族です。
交友関係が広く、花山院と歌遊びしたり、藤原道信や藤原公任などの男友達との交遊のことなどが、和歌とともにまとめられています。
もちろん、女性とのやり取りも豊富で、情熱あふれる素敵な和歌がたくさんです。宮中の女房に扇とられて、茶化されたり、清少納言が宮中にいると聞いて、口説きに行ったり、創作意欲をそそられるエピソードがいろいろありました。
小一条の宮の内侍が男に髪を切られたと聞き、
よそにかく消えみ消えずみ淡雪の布留の社の神をしぞ思う
このように、歌を寄せたりするやさしさを見せられたら、モテるだろうなと思います。
こちらは、古事談[三〇]のエピソードになりますが、絵にしてみたかったので、描かせていただきました。
https://twitter.com/heikoES/status/997443847700402176
【平安時代】「藤原実方、試楽の挿頭に呉竹の枝を用ゐる事」漫画/奈倉まゆみ(heiko) [pixiv]
もっと男臭い感じがよかったのか。この時代、男ウケするタイプの傾向がわかりませんね。「平安貴族、上司にしたいランキング長徳年間版内侍司まとめ」みたいなのとかないかな。
ちなみに、枕草子では、試楽や臨時の祭のことを詳しくかいた記事があります。ひょっとしたら、清少納言も見ていたかもしれませんね。
さて、この時の試楽って何だったのか。
冠に花を挿すと言えば東遊(あずまあそび)?と思って、ネットで検索すると、東遊は、一条天皇が散逸しないように力を入れたそうなので、やはり実方の呉竹の話は東遊でいいのかな。
晩年は、宮中で藤原行成に手をあげたことを一条天皇に咎められ、陸奥に左遷されて、落馬してなくなったと言われています。しかし、陸奥に左遷されるなんて、藤原行成はどれだけ、天皇に寵愛されていたのやら。時期的にも合わないこともあるようで、“左遷”ではなく、金鉱などの開発が関わっていたのでは?ともみられています。
華やかで人に好かれ、しかし、若くして亡くなってしまう。
平安時代で、いま一番惹かれれる人物です。
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