崇徳院と西行
先日、崇徳院の話になり、私も一枚描かせていただきました。
西行も描きたくなったので、漫画にしました。
https://twitter.com/heikoES/status/1002190274410393601
【平安時代】「崇徳院と西行ー歌で世を治めんー」漫画/奈倉まゆみ(heiko) [pixiv]
和歌は、ふさわしいものを選べなかったので、好きなものをあてていただくと・・・。
不勉強ながらに解説を添えさせていただくと、時は 鳥羽院による院政期真っ只中。
天皇になるも実権を与えられず、そのまま、退位させられた崇徳院は、不遇の日々を過ごし、利用されるだけの立場を嘆いていました。
西行は、出家前は鳥羽院に仕えており、崇徳院の母で鳥羽院の后、待賢門院璋子は密かに恋い慕った女性でした。そのため、崇徳院には、親身に仕えていました。
元主と愛しい御方の子との板挟みに苦悩も多かったと思います。
崇徳院は、鳥羽院が力を入れていなかった歌に生き甲斐を見い出し、度々歌会を開いたり、藤原顕輔に命じて『詞花和歌集』を作らせたりしています。
西行は、和歌を通じて心の救済を説き、陰ながらその事業を助けました。
しかし、鳥羽院の死後、政への野心を捨てきれずに保元の乱に命運を賭けた崇徳院は、後白河天皇軍に敗れて、讃岐に流され、そこで余生を過ごします。
保元の乱では、崇徳院のために奔走した西行ですが、讃岐に行ったのは、崇徳院が亡くなったあとのことでした。なぜ生前に訪れることができなかったのかはわかりません。
(影響を受けた本)
描いていただきました
先日、リクエストしていたイラストを描いていただきました。
やばい!タフィなんでそこにも迷い混んだ?!(///∇///) https://t.co/9vyXRQ8vXq
— 奈倉まゆみ (@heikoES) 2018年5月31日
#リプ来たセリフで一コマ描く
— MARI@僕つな第三話連載中♡ (@MARI_19_estar) May 31, 2018
奈倉まゆみちゃん(@heikoES )より
「お前…そんなに敏光がいいのかよ!?」 pic.twitter.com/jSYAyuQMpf
MARIちゃんの『僕らをつなぐもの』は大好きな作品なので、なんとも幸せなコラボです。タフィもかわいく描いてもらえました。しかも、マグやTシャツまで、敏光様を使ってもらってます。MARIちゃん、ありがとう(〃∇〃)
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