私は、『枕草子』の「淑景舎東宮へまゐりたまふほどのことなど」の宮中での家族団らんのシーンが好きで、なのに帝と東宮が水を差すように、それぞれの后妃を召すのです。しかし、この時の姉妹のやりとりもかわいい!!てれながら、お互いに上るのを遠慮しあうのです。姉妹揃って貴人に愛されるなんて、なんて素敵。
けれども、私は知らなかったのでした。東宮にはすでに王子がいたことを。
その後、東宮、のちの三条天皇の御子を六人も生んだのが、小一条皇后、宣耀殿の女御など呼ばれる藤原娍子だと知ります。
宣耀殿に盗賊が入った時は、東宮自ら駆けつけたと『権記』にありまして。
短絡的に、東宮の愛を感じてしまいます。
彼女の叔母は、村上天皇の女御芳子です。
髪がとても長くてかわいらしく、古今和歌集を丸暗記していた才女だったとか。
娍子の父済時は、この芳子とともに、村上天皇に箏の琴を習っており、それは娍子に引き継がれます。
芳子の伝説も重なり、済時に后がねとして育てられた娍子は、若い貴公子たちの気になるところだったでしょう。
(永平親王については、まだ思うところがあるのですが)
しかし、済時は二人とも癖が強いので、なんとか守り抜きました。
そして、居貞親王の召しを受け、叔母と同じ宣耀殿を賜ったそうです。
居貞は四人の后妃を迎えています。
兼家の娘綏子
済時の娘娍子
道兼の娘原子
道長の娘妍子
妍子を除けば、入侍後父を亡くした、後ろ盾の弱い后妃ばかり。
そして、道長が一条天皇との関係作りに躍起になっていたばかりに、影の薄いまま、長い東宮時代を送った居貞親王。
綏子と原子は東宮の子を授からずに夭折しますし、妍子が上るのはかなりあとです。
綏子が里下りしている頃も入れれば、娍子しか妃がいなかった頃は、十年余り。
六人もの子に恵まれたということも考えると、仲睦まじく寄り添っていたのではないかと思ってしまいます。
※漫画は創作です