梅雨はまだか
6月も後半に入りましたが、九州はまだ梅雨に入っていないなんて。しかし、東海以東は梅雨入りしている地域もあるので、変な気候ですね。
Twitterで、「掃晴娘」(さおちんにゃん、そうせいじょう、簡体字: 扫晴娘)というものを見かけたので、興味が湧いて、ちょっと調べてみました。
扫晴娘!掃晴娘! https://t.co/pY176DHB6x pic.twitter.com/jGMsNecnbi
— ふうめい (@fumeifeifei) June 16, 2019
中国から掃晴娘が日本に伝わって、てるてる坊主。
— 奈倉まゆみ (@heikoES) June 17, 2019
【掃晴娘】https://t.co/puDRuYxqnp pic.twitter.com/4YFIFKSvhe
中国のサイトを見てみると、てるてる坊主の期限はこの掃晴娘で、日本では、晴れを祈祷するのは僧侶であったから、「娘」から「坊主」になったのではないかと書かれていました。
中国には箒を手にした切り紙の人形である掃晴娘があり、これと日本のてるてる坊主との類似はすでに江戸時代の榊原篁洲『榊巷談苑』で指摘されている。また、ヘボン『和英語林集成』は「TERI-TERI-BŌZU」に「掃晴娘」の字をあてている。掃晴娘は文献上金末元初の李俊民の「掃晴婦」詩に見えるのが古い。『燕京歳時記』にも見え、20世紀はじめまでは一般に見られる習俗だったようだが、現在は知らない人が多く、むしろ日本から伝わったてるてる坊主の方が知名度が高い。
『蜻蛉日記』下巻に「今日かかる雨にもさはらで、同じ所なる人ものへまうでつ。さはることもなきにと思ひて出たれば、ある者『女神にはきぬ縫ひて奉るこそよかなれ。さしたまへ』と寄り来てささめけば『いで試みむかし』とて、縑(かとり)の雛衣(ひひなぎぬ)三つ縫ひたり。」とあるのを、掃晴娘に関係づけるむきもある。
上の記事を読むと、てるてる坊主の起源は掃晴娘だという気がしますね。
この記事もおもしろかったので。
ところで、
干魃も女神だっけ。
— 奈倉まゆみ (@heikoES) June 17, 2019
女性は晴れに関係するのかな?
それとも陰の属性を人身御供とすることに意味がある?
旱魃を引き起こす妖怪に「魃」というものがいます。
かなり前に読んだのは、蚩尤という半牛人の神と黄帝が大きな戦を起こした時には、水攻めから黄帝を救ったのが干魃という天女だったんだけど、このあと天界に戻れなくなって、大陸の北西に住むようになったとか。
— 奈倉まゆみ (@heikoES) June 17, 2019
学生の頃、中国の古代神話にハマっていたので、その時にデザインした魃をいじって、描いてみました。髪は黒髪だったのですが、砂漠に住むうちに、色が抜けたという設定です。
魃の姿は、一つ目で足が一本、もしくは足がなく、毛むくじゃらだったり、青い衣を来た女性だったり、その伝承によっても姿が様々なようです。
奈倉まゆみ on Twitter: "その頃考えた旱魃をちょっといじってみた(天界では黒髪だった) #らくがき… "