藤原義懐の出家
命日らしいので(若いけど)、藤原定頼、描いてみました。 pic.twitter.com/IcSRlF2bQO
— 奈倉まゆみ@妄想用 (@nakuramayumi_u) February 8, 2019
二月八日は藤原定頼の命日だったそうで。父公任に劣らず歌の才があり、詩を吟じる声も美しく、教養豊かだったそうです。有名な話だと、『十訓抄』で小式部内侍に即席で見事な歌を詠まれて、やりこめられてしまう話がありますが、彼女や紫式部の娘大弐三位など、多くの女性との話もあり、華やかな貴公子であったようです。
藤原義懐の出家
さて、今回は、藤原義懐のことを描いてみました。
https://twitter.com/nakuramayumi_u/status/1093130735517523968
『枕草子』の小白河の法華八講の話をもとにしています。
義懐の功績は前に書きましたが、もしも、寛和の変が失敗に終わっていたら、摂関政治はどうなっていたのでしょうね。やはり、兼家が関白になっていたのか。それとも、義懐が?
nakuramayumi-diary.hatenablog.com
義懐の系図を調べてみると、藤原公任や藤原道隆兄弟といとこなんですよね。
公任は花山院側として、父兼家が花山院を騙し、義懐を陥れていたとしたら、どのような心境で今後つきあっていったのだろうと思います。
義懐が出家して、義懐の子どもたちも、兄義孝の子行成も父とその兄弟の後ろ盾を失うのですから、もし呪いがあったなら、藤原朝成の怨霊恐るべしです。
そして、花山院。
古事談によると、花山院が天皇だったころ、雨の度に頭痛がするので安倍晴明に見てもらったところ、前世の修行僧は岩の間に落ちて亡くなってしまったらしい。その僧の髑髏が岩に挟まったままで、雨が降ると、その岩が膨張し、髑髏を圧迫するので、花山院の頭も痛くなるのだとか。
供養したら、頭痛はしなくなったそうです。
面白いと思い、いつも傍らに置いていただくことにしました。
http://contest.japias.jp/tqj1999/20106/seimei/kojin.htm
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