五位摂政と花山院、一条天皇の反故を破った道長のこと
にわか知識のまとめなので、寛容にお読みください。
先日図書館で、『古事談』という平安時代の逸話を集めた本を見つけたので、そちらを読んでみることにしました。
花山天皇と五位摂政
花山天皇というと、奇行が多く、好色な反面、和歌や絵の才能があったと言われていますが、彼に使えた乳母子で五位蔵人の藤原惟成(これしげ)や当時権中納言だった藤原義懐(よしちか)の助けを得て、破銭法(破銭忌避の禁止)・沽売法(物価統制令)・荘園整理令を初めとする「花山新制」を施行し、乱れた経済を改めようともしました。
藤原惟成の政治干渉力は、“五位摂政”と呼ばれるほど。
そうなるには、花山天皇の惟成への信頼があったと思います。
惟成と花山天皇との間にはこのような話もあります。
当時の貴族は、髻(もとどり:まげのこと)を見せることがとても恥ずかしいことでした。花山院は天皇の頃、惟成の冠をとっては、彼を悩ませていた話がありますが、彼は乳母子ですし、いたずらできるほど、気が知れていた仲だったからだったのかもしれません。
また、花山院が出家した際、義懐と惟成は後を追って出家しています。
花山天皇退位により、政治的な力を失ったためともとれますが、髪を下ろすことも厭わない忠臣だったとも取れないでしょうか。
関白藤原頼忠を差し置いて、政治的発言力を持つことができたのは、この時期には異例です。次の一条天皇に仕えた藤原道長について考える時に参考になる気がします。 しかし、この体制は花山天皇の退位により、二年と続きませんでした。
伝えられる好色ぶりや乱暴な振る舞いは感心しないものの、権勢に屈し、一人の后の死を悼み、出家する姿は哀憫の情を誘います。
藤原道長、一条院の反故を破る
時間がなくて、前回は花山院の項目中心に読んだので、まだ気になる『古事談』の記事がたくさん。
古事談も結構沼が控えてるなhttps://t.co/Hf7L6rUYcz pic.twitter.com/SHxhTxqynE
— 奈倉まゆみ@heiko迷走気味 (@heikoES) 2018年5月9日
三三~三四を勝手に妄想。
— 奈倉まゆみ@heiko迷走気味 (@heikoES) 2018年5月10日
正解は今度読んでから(←オイ) pic.twitter.com/L3UFc6jW4R
妄想が正しいか、確かめました。
『古事談 巻一 三三 道長、一条天皇の手習の反故を破ること』
https://twitter.com/heikoES/status/995439770904870917
漢詩の部分は
三光欲明 黒雲覆光
という説もあるそうです。
掠りもしてませんね(笑)すみませんでした。
日本史の授業では藤原道長による摂関政治のことが中心で、一条天皇の為人はあまり知られていませんが、成人すると、道長の意のままであったわけではなく、彼なりに善政を行おうとしていたようです。道長が邪魔しなければ・・・という思いがあったのでしょうね。
ちなみに、三四は、一条天皇は、冬に寒さをしのげない民を憂いて、夜は直衣を脱いで過ごしたというエピソードでした。
— 奈倉まゆみ@heiko迷走気味 (@heikoES) 2018年5月13日
民を慈しみ、公正にあろうとした、賢帝だったのですね。世が世で長生きできたのなら…
この冬の夜に直衣を脱いで過ごした話は、一条天皇の后だった彰子が藤原師実に話した内容とのことです。
彰子は、藤原家の娘というより、国母として、天皇家のために生きた女性だったのだと思うようになってきました。
紫式部が仕えた一条天皇の中宮、12歳で天皇に入内した平安時代のプリンセス 藤原彰子 | 歴史・文化 - Japaaan
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2018/04/26 17:40
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